2010年11月11日木曜日

Art としてのアニソン

また音楽をやりたいと活動再開してから地味ながら人前で演奏する機会を増やしている。



健康上の理由からストリートでの弾き語りスタイルからマイキングを駆使したソロ歌唱スタイルに変わりつつある。


マイクの使い方も慣れてきた。


こんな自分でも声をかけてくれる方や僕の歌を聞きたいと言ってくれる方々がいて本当にありがたい。






最近、どんな歌を歌っているの?と聞かれると「アニソンです」と答えている。

皆、最初は冗談だと思うようだ。



僕の音楽の原点はアニソンなのだった。




ビートルズは聞いていて嬉しくなる音楽で自分で演奏したいとはあまり思わないのだ。


洋楽ではむしろジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーン、ヴァン・モリソンの歌を今後取り上げたいと思う。


尾崎豊さんや長渕剛さん、佐野元春さんなどの日本のメッセージシンガーの歌にも魅力を感じる。











でも今、歌いたいのはスピリチュアル(ゴスペル)かトラッドかアニソン。








僕はずっと以前から日本の誇るべき文化として漫画・アニメと特撮ものなど今日ではサブカルチャーと呼ばれているものに注目してきた。



自分もそのクリエイターになるのが夢だった。





どうしてかというと子供に夢を与えることができる仕事だからだ。



外国人が馬鹿にする「オタク文化」ではなく日本独自に発展し花開いた本物の作品が確かに存在する。
SFから人間ドラマ、歴史物、教養まで多岐に渡る漫画文化は実は日本にしかないと思う。







そういう意味で日本に手塚治虫先生のような方がいたことは幸運だったと思う。



誰もがかつては子供だった。
影響を受けた作品が必ずある。




だから童話作家、絵本作家はもっと評価されてもいい。
意義深い仕事をしている。

外国にもミヒャエル・エンデのような素晴らしい作家がいた。



子供が夢を語らない時代。
なりたい職業No.1が「公務員」になってしまったこの時代。








子供から大人まで楽しめる音楽として「アニソン」を歌う意義がそこにある。





ま、自分が楽しんでるだけと言われればそれまでなんだけどね。

2010年11月2日火曜日

HOLD YOUR LAST CHANCE  確信的メッセージシンガー 




何度か書いているけど

ビートルズの音楽との邂逅から一気に音楽にのめり込んでいった頃の話、



1980年代前半、
あの時代の日本の音楽シーンを思い返してみると
70年代のフォークムーブメントからすでにかなりの時間が経っていました。
メッセージ性をもったシンガーよりもアイドル歌手やシティポップス系アーティストの活躍が目立っていた頃。ニューミュージックなんて言葉もまだ健在でした。





フォーク、ロックが死んでしまったわけではない。
すでにパンクや後にムーブメント化していくハードロックもありました。



ただ一時期に比べて一般のメディアにあまり出ていなかったのだと思う。
少なくとも自分の環境ではそうだった。




80年代後半におけるバンドブームもまだ先の時代。














それは「家族ゲーム」というドラマでした。




以前に「順子」のヒットでベストテンに出ていた長渕剛さんが家庭教師の役で俳優としてキャスティングされていたのです。





そのどこか「隣のあんちゃん」のような親しみのあるキャラクターと
社会性も含むドラマに10代前半だった私は夢中になりました。






そして、ドラマの主題歌「GOOD-BYE青春」をテレビで歌っている彼を見てこのアーティストの曲をもっと聞いてみたいと思ったのです。



B面の「-100°の冷たい街」もドラマで効果的に使われていましたね。




そして、このドラマのヒットにより長渕さんは「順子」の長渕から脱却。

けど、長渕さんの葛藤はまだ続いていく。





翌年に行われた 「HOLD YOUR LAST CHANCE TOUR」

 で初めて長渕さんの生演奏に触れてからは機会が許す限りコンサート会場に足を運ようになりました。




今のスタイルに繋がるこの頃の過度期の長渕さんの歌が好きです。
このあとアルバム「HUNGRY」でよりエッジの効いた表現になっていくのだけど、
健康上の理由でツアー中にダウン。

詩、曲、アレンジともに日本人としては独特・特異な存在だったけど、
後に「とんぼ」で不動の人気になっていくのは皆さんもご存知ですね。






近年でも歌われるこの名曲、何度聞いたか分からない。



長渕さんも何度歌ったのだろうか。


常に闘病生活だった自分はこの「歌」に何度も励まされました。







今日も誰かの心に響いて心の支えとなっているのだろう。




こんな曲を自分も作りたいと思っています。


そして、いつか直接に「有り難うございます」と長渕さん本人に伝えたい。