この曲は以前に「Stop in the name of Love」というタイトルで紹介しました。
だから今回は話題がかぶらないようにこの曲のプロモーションビデオで何が問われているのかをあらためて考えたいと思います。
喧嘩してしまった恋人への言葉から生まれたこの曲のタイトル。
希代のヒットメーカー、
ホーランド=ドジャー=ホーランド
によってスプリームスがこの曲を大ヒットさせて50年近くが経とうとしてますが、
このブログで紹介するのはこの原曲を歌っていたスプリームスと同時代から活動しメンバーチェンジがあっても現在も現役のイギリスのホリーズのバージョンです。
1983年にヒットしたこのバージョンはまさにホリーズらしいコーラスワークで原曲の良さを継承しつつ、曲の雰囲気も意味合いも変えたメッセージソングに仕上がっています。
冷戦下の世相をよく反映しつつ、
ポップとフォークの両方の流れを消化した名曲だと思います。
アルバムは友人から借りてよく聞いたものです。
何故今またこの曲を取り上げたのかというと
このホリーズのバージョンが持っているメッセージが
現在の日本が置かれている状況と噛み合っているからなのです。
ホリーズバージョンは歌詞がほとんど原曲と同じですが、
ハッキリと「反核」を謳っています。
あれほどの多くの方がデモに参加しても原発の再稼働は止められませんでした。
私の住む街でも今日の夜、道庁前でデモが行われます。
あの地震からの教訓は何だったのか?
たとえ困難でも原発のない社会を願って集まる人々の思いは何処へいくのか?
再稼働ー本当にこれは正しい選択ですか? これしか方法はないのでしょうか?
このビデオの爆撃機のパイロットのように良心の呵責に悩みながら決めた苦渋の選択だったのでしょうか?
アメリカでは「原爆投下がなければ戦争は長引き、結果として多くの命を救った」と今でも教えれているのでしょう。
そう思い込まなくてはやっていけないでしょう。
でも、原爆の投下で誰が感謝しているでしょう?
考えてみれば分かると思います。
私は専門家ではありませんし、
原爆と原発を一緒にするなと怒られるかもしれませんが、あまりに民意を反映しないこの時勢。
原発の信用性は今、どれだけありますか?
それでも「安全」というならばまず代表たる方々がその施設内に居を構えるべきでしょう。
事情が色々とあるのでしょう。
でも「人」が安心しての住める国にしたいと思いませんか?
再稼働を要求するデモはありましたか?
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