非常にマイペースで進行中ですが非常に読み応えのあるアーカイブになる予定です。
これを読んだ方が少しでも励みになれればと思います。
本にして出版する予定だったのですが今はこのようにインターネットで発信できる時代になったのでこのような形になりました。
あと僕のように目に見えない病気(自律神経失調症、鬱病、抑鬱神経症など)の人々に対する世の中の無知・偏見、理解のなさに対するアクションの意味もあります。
そういったことが病に苦しむ人々の絶望感につながり自殺を助長しているように思えてなりません。
幸か不幸か、僕は幼い頃に発症した為に自分なりに対策をこうじるようになり、いつか必ず克服してみせると自分を励ましてきました。だから自殺願望を抱いたことはありません。
死んだ方がマシと思ったことはあります。
でもそんな時はここで負けたら今までやってきた甲斐がないと耐えてきました。
御陰さまである意味において根性というか精神力が鍛えられました。
それは40度の熱でも学校を休まないという凄まじさでした。
で、今回はその発端と概要を記したいと思います。
今日まで僕が生きてきたことは奇跡だと思ってます。
何故なら20歳まで生きれないと本当に思っていたからです。
僕はもともとがそんなに健康だったわけではありません。
重度のアトピーを抱え家庭環境も影響し子供の頃からかなりのストレスの中で生活してきました。
それでも気が強いせいもあってガキ大将ではありませんがそれなりにのびのびとしていました。
小学校を終える頃には深刻は肩こり(腕が肩より上に上がらない)、両手足の痺れ(鉛筆を30秒以上持つこともできない)に苦しんでました。
普通の姿勢を保つことさえ命がけでした。
そして、ことあるごとに意識をなくし学校の保健室に運ばれてました。
当時の保険カードがまだありますが保健室の利用が半端じゃないです。
そいうこともあり当時は健康上の悩みと一部の弱い者イジメに悩まされてました。
元気だった頃には経験しなかったことであり子供なりに屈辱的な思いでした。
中学生になりこれらの症状に加え体温調整の機能がおかしくなりました。
この頃から深刻な体の冷えに悩まされるようになりました。
真夏で汗だくになっているにも関わらず何故か体が寒くて震えているという訳の分からない状態になってました。
そして、冬は地獄になりました。
体が冷えて冬中あらゆる活動がままならないようになりました。
姿勢を保つことが困難になっていたせいか、骨盤のずれからでしょうか外反母趾になり親指に激痛を感じるようになりスポーツができなくなりました。
ここまでが中学生までの自分です。
当時はこういったことを相談できる人がまわりになく、ただいつも具合が悪いヤツとか、仮病とか、考え方がネガティブだから具合が悪くなるんだとか、散々な言われようだったことを記憶してます。
でも仕方がないかもしれません。
家族でさえ病気で治療を要する状態だと思わなかったようですから。
それぐらい世間一般では認識されてませんでした。
健常者から見ればそういう風にしか見えなかったのでしょう。
僕も健康だったら同じ様に偏見で見たかもしれません。
続きはまた次回。