「TeenBeat BOOK」は尾崎豊の初期のアルバムを持ってる人なら手にしたであろう冊子で
「誰かのクラクション」は尾崎さんと田島さんが手がけたストーリークリップ集。僕は発売後間もなくしてなけなしのお小遣いで買いに行った。
当時は高校生がレコードや本を買うのは家が有福でもなければ贅沢な楽しみだったのである。
そして「難破船の少年」は尾崎さんが幼少の頃に親から読み聞かせてもらっていた本だという。「Teen〜」はこの本のエピソードから始まる。
1985年の春
受験勉強をほとんどしないままに入れる高校になんとか入学出来た僕は中学時代のように気ままに音楽を聞いて過ごせればといいと思い放送部に入ろうとしていた。
ところが入部したのはバレーボール部だったのだ。
スポーツというか人と争うこと自体がキライだった僕は、3年生で引退するまで様々なことをバレーボールを通して学ぶことになる。
一度も公式戦に出場することはなかった。
ただ顧問の重堂先生、諸先輩方には大変にお世話になり引退してもしばらくはバレーボールを続けた。引退してからぼくの技術は上がった。
運動神経ゼロ、超虚弱と呼ばれたと呼ばれた自分は確かにこの頃に大きく成長したのである。
続けること、諦めないことのの大事さを学んだ僕はその後に大病を患っても生還者として此処にいる。
尾崎豊の歌はそんな高校時代の僕のメインの応援歌であり尾崎さんはぼくの目標の一人だった。
友人がほとんど前情報もくれずにカセットテープを手渡してくれた。「回帰線」が入っていた。
日本の音楽、とくに日本のロックには殆ど興味がなかった僕は友人が録音したであろう音質の悪いカセットを聞いて何か感じるものがあったのだと思う。当時は長渕剛さんと佐野元春さんは聞いていたけどロックミュージックというよりシンガーソングライターとして認識していた。
すでにブルース・スプリングスティーンとジャクソン・ブラウンを貪るように聞いていた自分は日本のコンパクトにまとまった大陸的な広がりを感じない音造りに物足りなさを感じていたのです。
すでにブルース・スプリングスティーンとジャクソン・ブラウンを貪るように聞いていた自分は日本のコンパクトにまとまった大陸的な広がりを感じない音造りに物足りなさを感じていたのです。
おそらく次の日だったと思うけど
琴似の玉光堂で「十七歳の地図」を買ってきた。僕はこれは...と思ったアーティストは初期から聞いてみたいと思う質です。。
プレーヤーの針が降りて「街の風景」のイントロが流れたあの時の感動を僕はそれから沢山の人に聞かせ続けてきた。
そして直ぐに「回帰線」も手に入れた
デビュー盤からわずかのうちで声が別人のように力強くなっているのが分かる。声の変化に驚く。それだけ急進的に対応する年代なのだ10代最後というのは。
佐野さんのように都会的でありながら長渕さんのようにどこか枯れていて荒々しさがある。もともと声が美しい人なのにそのイメージをかき消そうとしているようにも思えた。
こんなことを感じたシンガーは他にいなかった。
今もいない。
そして直ぐに「回帰線」も手に入れた
デビュー盤からわずかのうちで声が別人のように力強くなっているのが分かる。声の変化に驚く。それだけ急進的に対応する年代なのだ10代最後というのは。
佐野さんのように都会的でありながら長渕さんのようにどこか枯れていて荒々しさがある。もともと声が美しい人なのにそのイメージをかき消そうとしているようにも思えた。
こんなことを感じたシンガーは他にいなかった。
今もいない。
今年、嬉しいことに尾崎さんと所縁のあるシンガー達と縁が出来た。
お世話になっている石狩のライブハウス レイディアンスさんで新しい友を得た。
そのお一人が今回の選曲者である Make'さんでオリジナルでもいい曲を歌う市井のロッカーなのです。
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