かつてアメリカ西海岸にあったサファリパークの名前。
けど、今日ではブルース・スプリングスティーン(現代における最高のストーリーテラーの一人)の1975年発表のアルバムの最後を飾る名曲として知られている。
そして、そのスプリングスティーンを長年支えてきたバンド=Eストリート・バンドのメンバーのサックス奏者クラレンス・クレモンズが亡くなったと聞いたのは先々月のある晩のことだった。
近年の映像などから衰えがあることは知っていたがやはり突然の訃報で悲しかった。
知人が教えてくれた後、自分で記事を見てみた。
「 米国時間6月18日午後7:00、享年69歳でクラレンス・クレモンズが急逝した。」
とあった。
スプリングスティーンとその周辺にはあまりにも書くことが多過ぎるので、また次回に譲るとしてクレモンズの思い出を一つ。
けど、本人にはまったく関係ない話題である。
私が中学生の頃、クレモンズのようなサックス奏者になりたくてなんとかサックスを手に入れようとしていた。
しかし、'80年代前半のあの頃、ブラスバンドでもやっていない限り子供がサックスを入手するのは難しかった。
今は手に入れやすくなったが。
そして、ある日父が何気にこう言った 。
「サックス、買ってきたぞ、ほれ」
と!?
びっくりした。
けど、そのびっくりはまたびっくりに変わる。
玉光堂(地元のレコード、楽器屋の名前)の袋に入ったその物はハ長調1オクターブの音が出る玩具のサックスだった。
どうりで小さい袋だ。
落胆したかといえばそうではない。
父の苦労を知っていた自分にとって、かわいい息子のためにジョークでもわざわざ滅多に行かない楽器屋に赴き買って帰ってきたその姿が目に浮かんだのだ。
おそらく、最初はほんとにサックスを買おうとしたのだと思う。
しかし、その値段を知って諦めたのだろうことも推測できた。
当時の我が家の経済状況では当たり前のことだ。
何よりそれより少し前に子供達が皆好きだったビートルズのBOXセットと高価なステレオ(当時の時価40万円以上)を買ってくれていた。
母と祖母がいなくなってからの父は苦労の連続だった。
だからむしろ最高の親父と思った。
それから高校生になった私は音楽ではなくスポーツに打ち込むことになり、音楽への思いが再燃するのはまた後になる。
スプリングスティーンといえば、 クラレンス・クレモンズの前にも鍵盤奏者のダニー・フェデリチをやはり病気で失っている。
スプリングスティーンはデビュー以来ほとんど固定メンバーでレコーディング、ツアーをしている。
ダニーとは10代のアマチュア時代、クラレンスとは70年代に入ってからだがいずれにしても数十年一緒に世界中の会場で演奏し感動を共有してきた盟友だった。
「友情」という言葉にもっとも近いアーティスト。
そして、それが悲しみも内包していることも知っている。
それがブルース・スプリングスティーンだと私は思っている。
ファンの一人でしかない自分はその心中を推し量ることはできない。
けど、人間ならいつかは訪れるであろう別れに思いを馳せることはあったはず。
あれほどのストーリーテラーで還暦を迎えてもなお叫び続ける彼なら。
ダニーとクラレンスの冥福を祈ります。
スプリングスティーンとEストリート・バンドのメンバーの健康を祈ります。
晩年は病気の影響で立つことが困難だったと聞く。
それでもステージに出ていた。
座りながらでも演奏していた。
若い頃とまた違った感動的な音が下のビデオでも聞くことができる。
この夏には来日の予定もあったという。
その音には心を熱くする魂が宿っている。
クラレンス、ありがとう!
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