今、言葉がない。
誰も言葉を使わない。
どのように饒舌に語彙数を積み重ねても、
心を通過しないものは言葉と呼ばない。
阿久悠さんの特集をしてライナーにあった上記の北沢夏音氏の言葉が心に残った。
番組でも言ったけど僕が最初に親に買ってもらったレコードは「ブーツをぬいで朝食を」と「ダーリング」(沢田研二)だった。偶然にも二曲とも阿久悠:大野克夫のコンビ。
今まで「ザ・ベストテン」の影響だと思っていたけど、どうやらそれだけではないことに気づいた。
70年代の歌謡曲を子守唄にしていたから阿久さんの書く詞が箴言となっていたのは確かだった。
日常ラジオやテレビから流れてくる歌謡曲の中にこそ実は親から子供へと託すものがあった。
それは決していつもポジティヴなものというわけではなかった。現実の厳しさを湛えたものも多い。
J ポップ と呼ばれる音楽に足りないものが理解出来るようになった。
晩年のこと阿久さんは今の日本に怒りを感じていたという。
1980年代後半バンドブームを境にヒットチャートから職業作家の書く歌がなくなった。
言葉が疎かにされている憂。
それは世代を越えて愛され残る歌がなくなったことを意味する。
職業としての作詞家が復権することを願う。
自分も頑張らんとな。
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